2013年4月17日水曜日

神奈川で中2男子自殺  4月10日

また、残念な事件が起きてしまった。
学校はいじめを把握していなかった。
しかし事後のアンメートでは、部活動の同級生などから
いじめを受けていた事がわかった。

保護者は帰りが遅いと学校に
相談したこともあったという。
夜に部活の同級生から連れまわされていたようで、
顧問が指導したことがあるという。

部屋から遺書とみられるメモが見つかったという。

繰り返される自殺。

誰かに話していたら、相談していたら・・・。

命を絶つという選択肢しか残っていなかった。
人はなぜ追い詰められてしまうのだろう。


人として生きることがうば奪われてしまうからだ。
それは人権が奪われたこと。

「安心」「自信」「自由」
  「安心」がまず脅かされる。

安心できなければ、精神的にしんどい状態が続く。
勉強をしていてもほかの何かをしていても、怖い人が頭から離れない。

びくびくしていなければならない。他の事に集中できない。勉強もできない。家族や友人との楽しい時間を持てない。心から何かを楽しむことができない。

「自信」が奪われる

誰かの言うなりにならざるをえない自分に自信が持てなくなる。
抵抗しても無駄だと思ってしまう。怖い人から自分は逃れられないのだと思ってしまう。

そんな自信のない自分を家族や友人に恥ずかしくて言えないと思ってしまう
(恥ずかしいことだと思わせるまわりがよくない、
被害を受けたことは恥ずかしいことではなく、加害をするほうがよっぽど人として恥ずかしいはず)

何をしてもだめだ。無気力状態。

「自由」が奪われる

自分がしたくないことを無理矢理させられる。
したくないのに嫌と言えない。そんな自分が嫌だ。

何かしようとすれば、馬鹿にされたり暴力を振るわれる。

言いなりになることで、自分の安全を守るしかない。自分が何をしたいのか考えない。
もう、どうでもいい。怖い相手がいる限り自分は、しんどくてたまらない。
相手を殺すか自分が死ぬしかない。

そういった心理状態に陥る。それが人権をうばられるということ。

死んでしまいたいほどに辛いままでいなくていい。

あなたには人権という権利がある。それを守っていいよ。

いやなことは「いや」と言っていい。でも言えないかもしれない。

それはあなたが悪いとか弱いとかではない。

誰だっていやといえばひどい目に合うと思ったら言えないさ。

そんなときは、誰かと一緒に言うこともできるし、逃げてもいいじゃないか。

そんな怖い人から逃げられるものなら逃げよう。(学校に行かない。部活に行かないという選択肢もある)

それもできないときもあるさ。だからと言ってあなたが悪いわけじゃない。

怖い目にあって誰でも動けなくなる時がある。逃げられないことがあるさ。

そんな時は、つらいしんどい気持ちを話そう。誰かに聞いてもらおう。

話してみよう。信頼できる人に相談しよう。

この人が聞いてくれなくても、あの人が「そんなことぐらい?」って聞いてくれなかったら、また別の人に、ほかの人に。

きっと誰か耳を傾けてくれる人はいる。

今は電話相談だってある。

電話で聞いてもらってもいい。

頼りになりそうな人を探して話してみよう。
今はネットでも相談してくれるところや、寄り添ってくれる場所を見つけることもできるよ。

そういった困っている、しんどくなっている子どもの気持ちを受け止め聴くことができる大人。

こうやって守っていいし、一緒に考えるし、こうやってあなたを守ってあげることもできるしと、いろいろ真剣に話を聞いてくれる大人がいたかどうかで、子どもたちの命が救われるのだ。

ただ、いじめは悪い、と加害者を叱るだけでは解決にならない。

加害者もどこかで被害者であり、心の傷、ストレスを受け止めて聞いてくれる存在がいたら、
人を執拗にいじめなくていいと思うのだが・・・・


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