2011年12月7日水曜日

人の魂をも奪う性暴力

11月12,13日に東京で行われた研修で、多くの共感と新たな学びや気づきを得てきた。
「DV、暴力を体験すること」という題目で、レジリエンスの中島さんとさつきさんの話。彼女たちの話は、もう4,5回聞いている。聞くたびに、彼女たちの成長もうれしいし、新しい工夫があったり、同じことでもさらに理解が深まったり。
彼女たち自身が、DVの被害者である。しんどい状況を生き延るために、輝ける力を持った人という意味で、星さんと呼ぶ。あの二人は本当に輝いている。

DVは、人が親しい人を支配し、被害者の力を奪い、人格を否定する、心の奥深く傷つける、犯罪以外の何物でもない。
自身の体験から、暴力が及ぼす影響やトラウマ、心の回復に必要なもの、相談者、周りの人の理解の必要性など、、、多くのことを教えてくれる。


DVの加害者はその人の考え、価値観に、原因の多くがある。
人に対する差別観、力のあるものは弱いものを従えていいという考え、力のある自分が振るう暴力はたいしたことはないという自分勝手な考え、、自分は特別で、親しい関係の中で、何をしても許されるべきだという特権意識、相手をコントロールする権利があると思い込んでいる等・・・
そして、ひどく屈辱的で、ダメージが大きいのが(DVの中で多くが起こっている)性暴力だ。


そして悲しいことに、人との対等尊重な関係がわからない人たち。


しかし、これらは、社会にも蔓延している価値観ではないだろうか?


DVがなくならないのは、社会が加害者をゆるしているといっても過言ではないのだ。


さらに、近年は、女性性を商品化した、性風俗店、デリバリーなどといった商売が成り立っていること、ポルノがネットで手に入ること、いやでもネットを使って検索すると目につく、性的媒体、迷惑メールなど流れてくること、インターネットやゲームに多く描かれる性暴力。携帯電話やネットでの中傷、相手を束縛、コントロールできることなど、あげたらきりがない。


それらが性暴力をはびこらせている。


最近のオリンピック選手がおこした性暴力事件。


加害者は「合意があった」といえば許されると思っている。


相手は未成年だ。指導者でありながら、飲酒を止めもせず、自分には妻も子どももいるのに、合意があった?合意があったとしても許される行為ではないことぐらいも分からないのか。


加害者の合意があったというのは、被害者が死ぬくらいの覚悟で暴れ、加害者に傷つけるくらい自爆するぐらい暴れて「いやだ!]と言わなければ、すべて合意があったことになるのだ。
強く抑えられたり、恐怖のあまり声も動くことのできないことあることも分からない、いやわかろうとしないのだ。
すべて女性は自分と性的なことをしたいはずだという傲慢特権意識があったように思うのだ。そう思ってもいいような状況の社会、周りの対応が、あった、そう受け取った、のかもしれない・・・。       悲しい・・・・。

行為が許せない。
その考えをただしてほしい。心から、傲慢だったと、反省してほしい。


社会が女性性を商品化し、女性をそのように見ることを許しているからだ。ポルノが描く女性が女性の人権を踏みにじっているというのにそれを許しているからだ。黒人を「くろんぼ」と呼ぶのはやめようというのに、女性に性暴力を加えるものを表現の自由として、娯楽(?暴力が娯楽となるなんて)ゆるしているからだ。


そして裁判も社会も多くがそれを後押ししている。
合意があった性行為を誰がリスクを冒して訴えるというのだ。
おれおれ詐欺で、自ら被害にあった人でさえ、社会は救済するというのに。


なぜ、性暴力だけが、被害者をさらに追い込む社会なのだ。それが何より、女性を尊重している社会ではないという証拠だ。


 それらをしっかり批判的に見る目を養うことの必要性・・・・。それが、子どもや若い人たちに教えられていない。大切な人権のことさえ、教えていない現状。


被害者は、悪くないのだ。落ち度を責められることもないのだ。すべては加害行為をするほうが悪いのだ。こんな当たり前のことが、性暴力には通じない。この社会はなんなんだろう。悲しい・・・。


DVや性暴力は誰にも関係のある話だ。


いかに巧みにその罠にはめられてしまうか。加害者に騙されていくのか。誰もがなりえることなのだ。
奪われた力を取り戻すために、暴力の本質を見極め、自分は悪くないことを知り、これまで、こうやって生き延びてきたことを認め、自分の力に気づいて、暴力に合わないための知識とスキルを身につけて。


時間はかかるけれど、それを宝に変えていける。輝ける星さんになってほしいと願いつつ・・・・。

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