2011年12月12日月曜日

3.11の被災地での女性たち

女性の安全研修の検討会議にて、被災地での女性が置かれた現状等が話し合われました。
いろんな状況いろんな人がいるだろうがあえてここでは女性の大変な面についてのみ書くことにする。


命からがら逃げてきた避難所での当初は、多くの女性たちは自分のことより、子どもや夫や家族のことだけ考えて、自分の不便さや不自由なことなど、考えもしない状況であるというのです。


自分のことは後回し、少し、落ち着いたところで、ああ、そういえば、自分はこうだったということもあるという。それは、それで、素晴らしいことであるが、女性は、自分のことよりほかの誰かに尽くすことを良しとする社会の価値観がある。その中で育ってきたということも一つにはあると思う。


それはそれで、すばらしいことだけれど、別の角度から見たら、自分が我慢をして、ただ耐えて、暴力の被害や理不尽な目にあっても声に出せないという1面も含んでいるのではないだろうか?
自分の尊厳や人としての当り前の幸せを思うことすらわがままなと言われてしまうのだ。

男性の避難所リーダーに、女性であるが故の不便さ(着替えの場所、仕切りを作って、洗濯したい、干したい、女性用品下着のことなど)を言うことはできなかったと。


普段の生活のゆがみが災害時には顕著に表れるという。


漁業の町などの普段から男性もまかないをするところでは、男性も女性もなく一緒にご飯作りをしたそうだが、町の大きな避難所では、ご飯の支度が女性たちに任され、毎日大勢の御飯の支度で、大変な思いをしたそうである。疲れて今日はできないというと、代わりに男性が作るのではなく、「今日はかっぱえびせんだけ」となったそうな。
外にがれき撤去に行く男性たちには、緊急雇用のお金が支払われ、毎日ごはんの支度をする女性たちには、お金が支払われないといったところもあったそうである。


日常のゆがみ、性的役割分業が、顕著に表れた。家事や育児やお年寄りの世話といったことは、女性が無償でやるものだという社会の価値観が、さらに、女性たちを貧困に追いやっている。


その一方で、そんな非常時でも仕事に行かなくてはならない男性たちがいた。家族よりも仕事を優先させた人たちがいた。
被災後、一度も家族のもとに帰らず、顔を合わせて無事を喜び合うこともしないで、何日も家に帰らず、仕事をしつづけた。そういった男性は英雄視されるのである。それはそれで、すごいことであるけれど、仕事より、大切な家族の存在、まずは身近な家族を守ることも大事な時があろう。
残された若い母親たちは、子どもを抱え、心細く、子どもを守らなければならない負担と自分すら守れない恐怖と闘いながら、どれだけしんどい思いをしてきたのか言葉もない。


誰も非難することはできない。こうすればよかった。ああすればよかったという思いはそれぞれあるだろう。

けれど、子どもや女性やお年寄り、障がい者などへの配慮もまた、欠かせないということを肝に銘じたい。


そんな感想を持った会議であった。


だから、まずは、女性たちが自分で自分の身を守れるように、力をつけよう。
知識と意識と護身術を身に着けよう。
多くの女性に提供したいものである。

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