2013年1月10日木曜日

繰り返される大人から子どもへの暴力

今、ばかばかしいくらい当たり前の事がわかっていない大人が多いということに、ちゃんと向き合うべきだ。

人は「だれでも、平等で尊い」ということ・・・・わかったつまりでいてもよーく考えると差別している
という事実。

なぜ、子どもに対しての指導は暴力が多少あってもいいという認識なのか?
では、ちゃんと生徒を指導できない先生は叩かれたり殴られたりすればちゃんと指導できるようになるというのか?

大人は自分の身になって考えよ!

軍隊まがいではないか?
やる気を起こさせるために、もっと根性を入れて練習するように叩けばなるのか?
ならば、担当の部活で、勝つことができない顧問の先生をたたけばその部活は勝てるのか?

指導者である先生がたるんでるからダメなのだという理由で、例えば、校長から、暴力を受け、小屋に連れて行かれ、殴られたら、適切に生徒を指導し、大会で勝てるような部活にできるのか?

あなた(先生)は体罰を受けて、できるようになるか?
能力が伸びるのか?ということである。ということである。

自分たちは過ちや間違いや、できないことがあっても、たたかれたり、殴られたり、罵倒されたりしないだろう。

誰も自分に暴力をふるうするものがいないから、抵抗できない生徒に暴力をふるう。

それは単なる虐待に他ならない。
自分の力や地位を利用してのパワハラ、虐待、いじめ以外の何物でもない。


誰でも、多少感じてしまう、差別偏見・・・大人こそ、力のある者こそ、相手を対等とみているか?
見下しいないか?
常に考えることの重要性をもっと認識すべきである

福沢諭吉も言った「人は人の上に人を作らず・・・・」当たり前のことだ。

大人は子どもにそういうことを言い聞かせておきながら自分はできていないのだ。
常に意識していないと、つい、見下してしまうものだという認識を持つことだ。

強いものは威張っていいというような間違った認識が、力のある人に逆らわない。逆らえない。
そのような社会は、平等ではない。

力で、ねじふせてしまう社会の悪の部分が、色濃く子ども社会に投影している。
その結果のいじめであり、その結果の子どもの自殺。

2010年は514人もの10歳から19歳までの子どもがみずから命を絶っているのだ。恐ろしいほどの数字だ。1日に1.4人がなくなっているのだ。昨日も、今日も・・・。

第1の対策は、ちゃんと大人、子どもに子どもの権利条約を学ぶような、人権教育をすることが急がれている。

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