2012年7月17日火曜日

暴力容認社会がいじめを生み出している

いじめは暴力であり犯罪である。
DVも(以前は夫婦喧嘩、内輪もめなどとたいしたことないような扱いを受けていた)暴力であり犯罪である。
子どもへの性暴力を以前は「いたずら」などといった。「いたずら」なんて言う軽い言葉で、たいしたことのないようにごまかされてはいけない。
ひどい暴力(トラウマになるような)であり、犯罪なのだ。

社会は暴力を容認していませんか?
力のあるものが弱いものを支配していいと、言っていませんか?
勝組負け組などと・・・・・・人を上とか、下とか・・・・・差別していませんか?

いじめられている子が「大丈夫」というのは、ごく当たり前のこと。
でも、この大人は、助けてくれるかもしれないと思ったら・・・・
寄り添う姿勢を示したら・・・・
見守っているよ、心配しているよという視点で、その子にかかわっていたら・・・・
その子は話してくれるかもしれないけれど。
普通にその時だけ「大丈夫?」って聞いたら、「大丈夫」って答えるに決まっているじゃないの。じゃ、あなたはどう答える?
心の中と違って「大丈夫」と答えてしまうかも。

子どもには、嘘をついてはいけません。思いやりを持って、正直に、相手の身になって・・・・・よく先生や親は、言うかもしれない。
言葉ではなんとでもいえる。その実態を大人は生きていますか?
生きようとしていますか?
人だから、いろんな感情もわき、暴力的になることもある。しかし、その後の対応をどうするか?どうしているか?

そういっている先生や親たちが、失敗や暴力や、理不尽なことをしたり、されたりしたときに、そのあとにどう対応しているか?

子どもはしっかり見ているのだ。しっかり、まねをするのだ。

大人自身の悪い部分や社会の悪い部分は、まだ未熟な子どもに、問題となり現れてしまうことが多い。

子どもたちの問題は、大人たちの問題。

一人一人、自分に問いかけよう。

嘘(嘘も時には必要と思っていますか?必要な時もありますよ)は自分や、大切な人の心と体を守るために使っていますか?
単なる欲望や、自己中のために使っていませんか?
文句ばかり言っていませんか?
人の揚げ足取りばかりしていませんか?

人に思いやりを持つために、まず自分がほどほど幸せですか?
自分に肯定感を持っていますか?ポシティブに生きようと努力していますか?

理不尽な目にあったり、暴力を受けた時に誰かに相談し、助けてもらっていますか?
助けてもらっていいのです。
近所や周りの人とあいさつなどかわし、顔見知りになっていますか?
何かあったときに助けてくれる人はいますか?


こういった問いにどうこたえられるのか?

子どもにだけ、「相談していいよ」なんて言えますか?
子どもの話をちゃんと正面から聞いていますか?
子どもの言うことだからと馬鹿にしたり、重要でないとつい軽くあしらっていませんか?
子どもは、この人なら聞いてくれるかもしれないと話す相手をちゃんと選んでいますよ。

人としての大切な人権をおとなも考えてみよう。学んでみよう!
自分に向き合うことを・・・自分はどうありたいのか。
どんな人なのか、完璧であることではなく、正直に、あること、こうありたいと努力することが大切と。
向き合ってみよう。自分の心と体を大切にすることって?

自分の心のコップが、愛(エネルギー)で満たされて、ほかの人に愛(エネルギー)を注げるのじゃないかしら?

あなたは安心して自信を持って自由に暮らしていますか?

今いる環境の中で、自分ができることを、与えられた仕事の中で、自分なりに、ポシティブに、楽しんでいますか?
どうせ同じことをする(仕事)なら、楽しい理屈をつけて、やりがいがあると理屈をつけて、自分から主体的に取り組んでいますか?
自分がしていることに、どんな意味をつけるのかは自分が決められるのです。

幸せは自分の心が決めること。

苦しくなったら、誰かに話そうよ。

誰かに助けを求められる人は、勇気のある人。自分を大切にできる人。

きっと、あなたは、誰かから、助けてくれそうだと信頼されているし、誰かの支えになっていたり、誰かに支えてもらっていると自覚できる人ではないかしら?

「あなたは大切な人」「あなたがいてうれしい」「あなたに支えてもらっている」「ありがとう」「感謝!」

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