2012年7月10日火曜日

いじめ自殺に思う  パート3

次々と新たな事実が明らかにされている。「アンケートをした結果 13人から16人が以下のように答えているというのに。はじめは無視されたのだ。
なぜ、初めから出てこないのか?

自殺の練習の強要、トイレで殴られる。死んだ蜂などを食べろと言われていた。口座番号を教えろと脅されお金を取られていた。万引きを強要し、しないと殴るける。

また、先生も見ていた。


「やり過ぎんなよ」程度で、笑っていた。
自殺した生徒が泣き泣き電話で相談したが、対応されていなかった。
報道される範囲でしかわからないが、まず、しなければならないのは、その生徒を守ること。

弱いものはダメという価値観がまだあり、いじめられる側にも問題があると思っている大人が、半数ぐらいいる社会。(しつけに体罰は必要と思っている大人も半数。これらが暴力容認のもと)
まさに暴力容認の社会だと、つくづく思うのだ。

生徒たちの少なくとも10数人はひどいいじめにあっている生徒を把握していた、先生もわかっていたはずなので、十分な対応をしないことに疑問を感じていた矢先の出来事なのだろう。

だからアンケートには素直に書いたし、先生に対しておかしいよ!と訴えているのだ。

その言葉の重大性を認識しない大人側の明らかな過失。

責任がどうとかいう前に、先生も生徒も、防げなかった残念さを一緒にかみしめ、素直にどうするべきだったか話し合わなければ・・・・・。
そういった対応を生徒たちは求めている。
大人たちの対応をちゃんと見て情けないと思っているのだよ。きっと・・・・・

大人側が、チキンと対応する姿勢を自殺があった後もしていないから、むしろ、周りの生徒たちはいらだち、直接自殺した生徒の家に行って話したり、揚句は県庁や中学校に脅しの手紙などやる事態になった。

ここで、決して脅しをした生徒を見つけ責めるのではなく、大人側の対応のまずさを深く深く反省し、中学校全体に謝る、いや、社会に対して正直に謝り反省してほしい。
こういった大人のずるさを、この社会全体で、反省してほしい。
そのチャンスではないのか?


このような事件があると、大人側加害者側は必至で守ろうとし、周りの大人たち(先生)も自分を守ることに必死、大人同士かばいあうのだ。

かばわれるべきは子どもであるはずだ!
大人より、子どもの証言のほうが信頼性がある。
多くが・・・・子どものほうが正直だ。

あとから出てくる、学校、市、加害者側に不都合な事実・・・・・動転してなかったことにしたい気持ちはあるだろう・・・・しかし、それを教育する側の大人として、ごまかしたり、隠したり、決して許されない行為だし、そういった側に子どもを教育する権利などない。
そういった大人たちに教育されている子どもたちが哀れであるとさえ思ってしまう。


大人にも正直な人がいるよ、、会社を告発したり、正直に意見を言い、疑問に思ったことを言っていい社会にしていかなければ・・・・。

今、一人一人に何ができるだろう。

自分に正直になることから、・・・・・・

情けないとか、弱虫だとか思っても、それでいい、人間だもの。

先生が、チキンと叱れなかったのは、いじめる子からの復讐がむしろ先生が怖かったとか?
見た目、遊んでいるし問題ないと思いたかった?
面倒なことに巻き込まれたくなかったから?

正直に語ることから始まるのではないか・・・・。
自分の心の中の葛藤を・・・・。




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