2012年9月1日土曜日

暴力は恥だ!

暴力をふるう人は、恥ずかい!という認識がもっとあったら、
いじめもこんなに深刻化しないだろう。
暴力をふるうことは単純だ。
怒りにまかせて相手を殴ったりするのは幼稚だし、簡単だし、弱いものを脅かしたりして言うことを聞かせるなんて人として恥ずかしいことだ。

しかしながら、大人の世界も暴力が幅を利かせていないだろうか?
暴力を容認していないだろうか?
特に権力のある人の言うことはおかしいと思っても
「仕方がないじゃないの?」
いやだ!横暴だ!と思っても権力のある人だから黙ってこちらが「たえればいいのよ」という組織会社、団体、みんなの周りにありませんか?
  いい例が大阪市長。
選挙に勝ったから自分の意志は市民の意志とばかりに・・・・自分以外を尊重しないやり方で仕事を強引にしている。
つまり権力を持っている自分の言うことを聞け!聞かない奴は処分する。といった態度見え見え。
記者のこたえられない質問には、「おまえの聞き方が悪い。ちゃんと勉強してからこい!」などと、きちんと答えない。

本当にできた人なら、「あなたはこういうことを言いたいのですか?これはつまりこういうことですが・・・・」など、相手にわかるように答えようと努力するものだ。
自分がわからないことは「わかるように言え!」と相手にばかり要求するー相手の責任にする。
一方、相手がわからないと思えることは「勉強して出直してこい!」だと。自分が言いたくないことを質問する方が悪いんだと。

そういった暴力的、人を見下したような馬鹿にしたような態度発言をなぜ、もっとマスコミは問題にしないのか?
ここに、間違いがある。
これはDV加害者の考え方に似ている。自分より下だと思う人には、横柄な態度をとる。怒鳴って相手を黙らせるやり方。

この暴力的な部分を見逃さず、毅然と、「大人の態度で冷静に、相手を見下すような言い方はやめよ」と多くが言うべき、市長に反省を促すべきが、なかなか、できない、怖い人だから黙っていようになっていないか。
少数のわかっている人たちもいる。マスコミももっとそういった人たちの見解や意見を放映してほしい。そういった人たちの声に耳を傾け、自分はどう思うのか、周りに流されず考えてみよう。

本当に力のある人は、相手が何を言わんとしているのかをちゃんと受け止めるべく、適切な言葉掛けや態度をするものだ。

暴力を許さない。ぜったい!
ありえないと思い込まれているところに発生する暴力の実態!
1、指導する立場にある大人や教師や指導者たちの体罰、
2、家庭の中の暴力DV
3、教師によるスクールセクハラ、性暴力

それも見逃さない。

泣き寝入りしないで済む社会に。

よく耳にする。理解しているふりをしてのセリフ。
虐められている人に、「いじめの被害にあっていることは親に心配かけるし、情けないと思うから人に言えないもんねえ、わかるよ」なんて思うこと、言うことがおかしいことに気づこうよ!

「性被害にあったなんて恥ずかしいから人に言っちゃだめだよ」なんて、絶対おかしいことである。

「加害者はなんて情けない愚かな人だから、公にして恥をかかせて罰を与えて、本当に反省させないとね」となってほしい。
恥ずかしいのは加害者だよ、被害者は全然悪くないし、全然恥ずかしくもないよと。

「いじめにあっているあなたは全然悪くない、虐めている人はなんて情けなく、恥ずかしいことだろう」という雰囲気にすればいいのだ。実際そうであるだろう。

一人では無理でもみんな協力して「NO!]を突き付けようよ!
暴力が恥ずかしい大人の世界を作ることをめざし、その姿勢を示しつつ子どものいじめの問題も、関わる大人が真剣に毅然と対応しようよ。

暴力はエスカレートしている。大津のいじめ問題でも、加害者が転校先で暴力事件を起こしたり、女性教師に暴力をふるいけがをさせている。
加害者側の大人も素直に彼らが反省できる環境を作ってあげようよ。せめてもの彼らのために。つらく苦しいけれど子どもとともに、罪を認めようよ。
いったいあの事件の後、学校側は加害者生徒にどんな対応をし、どんな指導をしたのか?
全然効果がないばかりかエスカレートしているではないか?
暴力をした人は逮捕される。毅然とそう言った対応も必要だ。

また、とても悲しいし、許せないのは、いじめを「あそびだった」と一貫して認めないということ。
これもおかしい。加害者が「あれは、暴力だ」と認めなくても結果として故意にやったことだし、けがをし、心を傷つけている結果があるのだから、否認しても、犯罪であり有罪であり、逮捕すべきこと。

よく言われるレイプしておいて、あれは「同意だった」とぬけぬけというのと同じだ。
加害者が暴力かどうか、いじめかどうか判断するのではなく、被害にあった人がどれだけダメージを受けたかが問題。人間としての尊厳を傷つけられたかが問題。暴力をしたという自覚がないなら、それは暴力ですと毅然と教えるべき。
そこの基準もきちんと認識されていない。

セクハラや性被害の様な事件については女性が、虐待においては、子どもや幼い子が、いじめにおいては虐められる方が、DVにおいては被害者が、はっきりと「暴力の被害にあっている」と認識できない場合もあることは、暴力の問題に詳しい専門家や精神科や心療内科の世界では当たり前になっているというのに。

もっと暴力が人に及ばす影響を広く知らしめ、暴力の連鎖や、暴力は問題解決にはならない、新たな暴力しか生まないことを知る必要がある。

今、日本が抱えている領土問題も、相手の挑発にのらない冷静な大人としての対応が必要だ。暴力的でない方法で、対処する。それでこそ、戦いを好まない、戦争を放棄する憲法を持つ日本の姿勢だと思う。

0 件のコメント:

コメントを投稿