2013年12月3日火曜日

女性への暴力、貧困、差別の問題

社会にはいろんな問題があるけれど
「私には関係がない」と思えばやり過ごし、見ないようにできる。

しかしながら
暴力の問題は誰にでも関係のある身近な問題であり、被害に遭うリスクを減らすことができるものだ。

良くわかっていなかった、正しい知識がなかった、よく考えていなかった・・・ことで、暴力に巻き込まれる可能性は大きくなっていく・・・としたら・・・?

やっと法律はできたもののDVやセクハラ、性被害(これについては法律がもう時代に合わなくなっている)など、女性に対する暴力の問題は、まだまだ見ないようにされているし、見たくない問題として、押しやられている感じがする。

「見る」という意識がなければ「見える」ができないのだ。
目に触れさせまいとするものは何か?
そこのところを深く洞察しなければ、問題の解決には至らない。



しかし、根本の「暴力はどんなことがあっても否定すること」
         「どんな人も暴力を受けていい人はいないこと」

は、最低限、社会で認識されるように願う(^^)v

しかしなお、体罰を容認するような社会、ほかの国の挑発に乗り、防衛のための武器を、制裁を、・・・・・・
はあ~…むなしく感じてしまうこともある。

「女性の安全と健康のための支援教育センター」の通信を読んで、そうだそうだと思うことをここで述べてみたい。

DVというとまだまだ男女で見れば優位に立っている男性にとって、男が悪いといわれているようで、居心地が悪いと感じる人も多いのだろう。

しかし、どういうものかちゃんと知れば、誤解は解ける。(女性の加害者もいるし、同性間でもある)

そして、だれにでもある、人を支配したい、言うことを聞いてもらいたい、認めてもらいたいという人としての基本的な欲求を、どう表現していいかわからないところからきているということに、まず気づいてみる。

そして、自分より下の者(そう差別することが本当はおかしいことだが)暴力を振るっていいと勘違いしているところに原因のひとつがあるのだ。(体罰しかり)

誰にでもある欲求をどう表現するか、人とのかかわりの学び、

幼いころから認められ、ほめられ、まわりの温かさに囲まれて、自分は大切な存在なんだと感じられる育ちをしたら、人といい関係を築きやすいだろう。

そんな学びを育ちの中で、できる人は、恵まれている。


いま、幼いうちから電子機器を相手に過ごすことが多くなりつつある中で、人と人のリアルな付き合いを学ぶ機会が必要となっているのではないだろうか?

生活保護については、有名人の母親がそれを受けていたとしてバッシングされてから、本当に必要な人に受給されないということが現場でおきている。

イメージや先入観で、人を見ることは愚かなことだと肝に銘じたい。

また、児童虐待は、そこだけの問題ではなく、その子の自尊感情が育たないことによる弊害(1度被害を受けると自己防衛力も落ちてしまう、自分なんかと否定してどうなってもいいと感じてしまうからだ)が、その子の人生にずっとかかわってしまう怖さを感じている。
しかしながら人は自分で自分を変えることもできる。

社会が見ないようにしている性暴力(DVのほとんどは性暴力も含んでいるといえる)

自尊感情が育っていないと人から求められたら{NO}とは言えない。
それが被害を生んでしまうことが・・・

そして自己嫌悪、否定の輪に入ってしまうと、回復が難しい。

だからこそ、そういった人が助けを求めて、初めに会う人が受け止めてくれるかが重大だ。

行政の生活保護に頼らざるをえなかったり、相談窓口に頼ったりする、窓口担当の人は、そこのところをよく理解できる研修を、必須で受けるべきだ。

わらをもつかむ思いで、電話をして、・・警察に駆け込んで、・・・そこで、また傷つけられるということが・・・・

DV被害の女性が、生活保護を申請して受給が決まるまでに3か月かかったという。

相談窓口で、「男を見る目がないからそんな目に合うんだ」といわれ、
「あなたが先にちょっと手を出したから悪いいじゃないの?」といわれ、
「お酒をだすところで稼がないの?」といわれ、

ある人は露骨に「女を使ってかせげないの?」と言われたという。

身元の調査をしますといわれて、従ったり、同意しなければ、「受給できませんよ」と、暗黙の圧力がかかる。

書類1枚で、「殺すぞ」と言われている気分だったという人もいる。

ケースワーカーや役所の窓口の人は、自分がそういう立場にいるということをちゃんと自覚し、寄り添ってほしいものだ。

なかなか声を出せない人の代弁者になれればと思っている。




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