2013年3月31日日曜日

NABA「生き残るために必要だったこと」研修報告

NABA(摂食障害者の自助グループ)1987年4月発足

25年も前からこういった自助
グループが活動していたのだ。
3月にこの研修に参加したので、報告と感想を書いていく。

摂食障害にかかわらず、アデクションは生き残るために必要だったこと。
そうとらえ、まずは、そういった人たちを偏見の目で見ることをなくしたい。
摂食障害などの人達が、悪いわけではないのだ。

自分が悪いわけでも意志が弱いわけでもなく、
暴力の被害にあったり、自尊心が少なくなったり、自分に否定的になったり、
自分らしく生きることができないなどがあると、何らかの症状を引き起こすのだ。

それが人によって、他者への暴力となれば加害者となり、

自分への暴力となれば、依存症(摂食障害なども含め)や引き込もり、自殺未遂、リストカットなどとなって顕れる。

人が人として生きるために、最も必要なものは人としての尊厳であり、「人権」を守ることだ。

摂食障害の原因は、複雑にいろんな要素がからんでいるが、根本は、「今のままの自分ではだめだ」という否定のメッセージである。

思春期の女性がかかりやすい・・・痩せていなくては~
お母さん、お父さんのの言うとうり期待どうりのいい子でいなければ~
私が、この問題ある家族を良くしていかなければ~
性的に傷ついて、女性であることを肯定できない、したくない~
周りの大人に見捨てられないために~弱々しい自分を演じる~期待どうりの子どもを演じる・・・・

そういった自分らしく、自分として、自分を主張して・・・生きていけないつらさがある。

誰しも人生は思うようには、いかないものだ。

周りにいろんな人や仲間や家族がいて、いろんな影響を受け、いろんな話のやり取りができ、それなりにストレス発散もできていれば、問題はそう深刻にならないかもしれない。

ところが、現在は、家族も減り、親せき付き合い近所付き合いも様変わりした。人と接する機会も減り、接しなくても生活できたり、うまくかかわる機会が奪われれつつある社会でもある。

生きにくさを感じたとき、理不尽な目にあった時、自分を守っていいし守るスキルがあるといった人権教育がなされていて、人権を守ることがことができ、話を聞いてくれる大人も周りにいたら、早く解決できるだろう。

そういった意味で、やはり、人として尊厳をうばうものに「NO」が言えて、自分の心と体を守るすべを学ぶことが、自尊心を取り戻し、生きていてよかったと思える早道なのだと思う。

人権を奪われ、人としての「安心、自信、自由」のない中で育ち、自分が何者なのか、生きていていいのか?と自信を否定してしまえば、依存症にならなければ生き延びられない現実があるのかもしれない。

ある人のきっかけは
  *子どもの目から見て母親が女性として幸せそうに見えない。「女っていうのはこういうものだ」とあきらめて育つことで、自分が女性でよかったという自尊心が持てなかった。

この社会の根強いジェンダーの問題である。

 *性的被害を受けて、「あなたに好きがあるからよ」と攻められ、2重に3重に傷ついて、女性性を肯定できない。自分を責め、苦しんでいる。

思うようにならない世界で、食べるという行為は自分で簡単に自分を幸せにしてくれる、自分で選べて食べられる。そこに、はまってしまうのだ。

これまでに蓄積された怒りがわーと出てきてがむしゃらに食べるしかなかったりするのだ。

同じ苦しみを持つ仲間で、安心して話せる場というのが、回復や自己を見つめるための場となり、それが回復につながっていく場にある一人じゃない、仲間がいる。わかってくれる人がいる。

生きにくさが少しでも和らぐことにつながればという思いで、自らも症状に苦しみ、傷つき、葛藤しながら、NABAのスタッフも続けてきたという。

なかなか、そこから回復するのは容易ではない。
だからこそ、子供たちすべてが小さいうちから人権を学び、周りから人権を尊重された対応をされ、自然に、自分の存在の大切さを感じて、だからは他社の存在の大切さにも気づくという学びが必要なのである。

つくづく、地道ながらもエンパワメント山形の活動を広めていきたいと願う。



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