体罰の問題は、映像が証拠となり、ごまかしがきかなかった。
映像がなくてごまかされている、なかったことにされる問題は、どれだけあるだろうと思う。
あの映像を見れば、明らかに暴 力であるのに、なぜ、学校も教育委員会も調査もしなければ、だれ もそれを止めないなど!
これって、大人たちは、子どもを見下している からではないのか?
相手が子どもだから・・・・といった認識。な んとひどい!
大人がああいった指導を受けたとしたらすぐに問題に なるだろう。
力のあるものが弱いものを痛めつける。馬鹿にする。
口先で はいいことを言っても、実際、子どもの人権を尊重して対応する大 人が少ないから。
子どもを守れる大人があの学校の教育の場には、 いなかった現実。
私たち大人は、子どもよりも強い立場にあることを忘れてはいけない。強い立場の者は弱い立場のものを守らなければいけないという荷の。
しかも教育者である先生方 や、教育委員会がだ。そういった人たちの多くは年配の男性。時代 は変わっているという認識をもっと持ってほしいし、教育委員の偉 い方の会議の場面では女性は全くと言っていいほど、いないもの気になる 。
子ども時代に暴力を振るわれた大人は、暴力を容認する場合が 多いという。何を持って暴力とするかだが(人によって違いはある だろうが)人としての尊厳を傷つけられるとしたら暴力だと思う。
体が痛いか痛くないかの問題ではない。
いきなり蹴ったり叩いたり、直接たたかなくてもひどい暴言や、見下した態度は、相手の人格を侮辱する行為である。
それは単に、自分のいら立ちを暴力という手段で相手が自分には逆らえない、とわかってしている行為である。単なる弱い者いじめだ。暴力をふるったらもっとひどい暴力となって仕返しする相手には決して!しないのだ。(あるいは相手が大人なら)
からだが痛いかどうかの問題ではない。
心がどれほど傷ついたかである。
生徒は、力を発揮するどころか萎縮するだけである。
それが、生徒のためなどありえない愚かな行為。
それがわからない指導者こそなんて哀れな人だろうと思う。
子ども達に、そういった暴力からどう、自分を守ることができるかを教えるべきである。
子ども自身が自分を守れるスキルを教えるのが、CAPプログラムだ。
自分はかけがえのない存在という人権意識を育む教育が必要だ。
自分はそんな目にあっていいはずがないといった意識が、自分を守ろうとする力になるのだ。虐めや暴力に対して毅然と「いやだ」という力になる。そういった力を発揮できる教育を子どものうちからしていけば、その子たちが大人になったとき、人権を尊重できる大人たちが増えるにちがいない。
CAP活動をしているとき、学校現場では、子どもを守るよりも、
指導力のない先生の方を守る所があるのだ。
悲しい現実・・・・
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