2012年10月26日金曜日

公開講座 若い世代に伝えよう―愛と束縛は違うことー

10月21日チェリアフェスティバルの公開講座で、参加者と一緒に考えた。
知っていれば防げることはたくさんあるという思いで、DVの構造や特徴、加害者について考えた。
NHKクローズアップ現代で取り上げられた番組を見た。
勝手にルールを決められたり、たたかれたりしても、相手は自分のためを思ってそうしてくれていると思ったという被害者。
相手を怒らせる自分が悪いと思っていたという被害者。

彼氏から「自分以外の男のメルアドを消せ」と言われて恋人同士になればそういうものなのかなと思ってしたがったとか。
好きな相手にこうしてほしいと言われたらそうしたいと思うだろう。
はじめは優しく、お前のことが好きだからと言われればそうなのかなと思うのだろう。

経験が少ない若者は、相手がそういうなら…とか相手に「これは常識だろう」とか、「みんなそうだよ、そういうもんだよ」と言われ、あまり疑問に思わず、従ってしまう。

これは誰でも陥ってしまう罠だ。素直なほど、相手を思う気持ちの優しい人ほど陥ってしまうかもしれない。もちろん多くは、ほどほどをわきまえている大人ならひどくはならないはずだが・・・。
しかし、現実は20代の5人に1人が何らかの被害にあっているのだ。

私たちが、デートDVの実際の映像を見せられれば明らかにおかしいし、なぜ逃げないの?と思うだろう。

ところが、DVの加害者は、巧みに愛と束縛は同じとばかりに、時には優しく、時には見下し、コントロールしてくる。
世間一般に対する態度と、恋人や家庭で妻に対する態度は違っている場合が多い。
だからほかの人から見たら、「え~あんなにやさしい人が、信じられない・・・」となる。

少しづつの束縛、少しづつ自分に従うようにされていく、少しづつ、自分が悪いから相手が怒るのだと、気を使わされ、それが日常になり、慣れていく。
恋人は一体だ。夫婦に秘密はない。いつも一心同体。女性なら男性に従え。いつも気分良くして入れれるようにしろ。といったDV加害者的価値観。

被害者は、自分はダメな人間だ、どうせ抵抗しても無駄と思ってしまうと、暴力から逃れようとしなくなってしまう。
ただひたすら、怒られ無いように、はらはら気を使い、自分はなくなり、相手に合わせるだけになってしまう。
怖いと思っても、逃げようとするとよけいに束縛や怖さがまし、ストーカーされ、脅かされ、ますます逃げることなどできない。。
その怖さは当事者でないとわからないだろうが、人は長く暴力にさらされると無気力になり、何かをしようとはしなくなるものだ。

気を使い、しんどい日々の中で、ちょっとした相手の優しさがそれこそ、ものすごい優しさに思えて、ますます逃げることができなくなり、いつかきっと・・・・と期待してしまう。
そうなったらDVのサイクルに巻き込まれたということ。なかなか抜け出せなくなる。

愛は相手を信頼するもの。愛は相手の気持ちや意見が自分と違っても相手を尊重できることだし、自分の気持ちや意見もきちんと話し合うことができるのが、本当に相手を理解したいと思う心。

束縛は、相手を信用していないから。自分に自信がないから。相手をもののように見下しているから、コントロールしようとする。

加害者は人と対等で尊重しあえる関係がわからないのだ。自分の人生にとっても不幸なことだと思う。
人との関係を上か下かでとらえてしまう。
身近にいる。
あの人は怒るから気を付けないと。あの人は怒らないから手を抜いてもいいの。
自分より下だと思えば威張る。上だと思えば機嫌取りをする。

違うよね。

相手が怒るとか怒らないとか、上とか下とか関係なく、自分の行動は自分で考え責任を持って、自分に誇りを持って、人といい関係を築きたいし、物事を行っていきたいよね。

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