2012年10月2日火曜日

私さえ、がまんすれば…の危うさ

恋人や夫婦、親子の関係において、
盲目的な「私さえ我慢すれば・・・」は
あぶない。
一見「母の愛」だの「献身的な妻」などと、きれいな言葉にだまされれては
いけない。
好きになればつくしたい。
あなたのためにこうする。
真面目で心がきれいな人ほど、陥ってしまいかねない罠だ。
だから、被害者にも落ち度があるなんて絶対言えない。

人に翻弄される人生となる。
人を翻弄する人生となる。
どちらも幸せには、なれない。

自分自身を大切にできなくて人を大切にはできない。
つまり、自分の気持ちや意志に反して無理に相手に合わせたり、自分の尊厳や人権を侵害されていることに気づけなかったりする時は、自分を大切にできているかなと立ち止まるとき。
  自分自信の人生を主体的に生きることが幸せにつながると思っている。
それぞれの場所で、それぞれの立場で。

頭の中がいつも誰かのことでいっぱい。心配で心配でたまらないなら、ちょっと立ち止まろう。
それは自分を生きていないことだから。
まずは自分がどうありたいのか誰の問題なのか考えよう。

相手に対して、心理的に虐待しているかもしれないのだ。知らぬ間に束縛監視して、がんじがらめにしていないだろうか?
自分もするべきことをしなくなっていないだろうか?

自分はこのままで素敵だよ。生きる価値があるよ。そういった肯定感を感じているかな?

どんなに好きでも愛していても、24時間相手のことばかりになっていたら要注意。
自分の時間をちゃんと確保して生きよう。
それができなくなっていないか、チェックしよう。

生活にいろんなシーンを織り交ぜて生きよう。
いろんな人との交流を織り交ぜて生きよう。

危うさに、敏感になろう。現実と映画の世界は違うのだから。
大切なあなたの人生だから・・・・。




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