女子短大ということもあり、女性の人権や、心と体を守ることに焦点を当てた授業を行った。
生徒たちの反応や、「話し合ってみて」と言って話してもらったことを聞くと、
女性はまだまだ男性と対等でないという感じを彼女たちも持っている印象を受けた。
対等であるためには、
女性も主体的に、自分で責任を持って生きていく、という覚悟も必要である。
資料に県内で起きた女性に対する暴力事件の記事を添付した。
とても小さな扱いである。
だから一般には、そんなことあったの?という感じだろう。
公に話されることは少ないが、個人的にあちこちで、「いやだねえ、怖いねえ」とひそひそ話されているのだ。
女性に対する暴力は、多くがたいしたことがないとか、なかったことにされるのだ。
そしてそれをいちいち言ってんじゃないよという雰囲気があったりする。
あえて、問題意識を持ってもらおうと資料を付けた。
例を挙げる
2012,4月 児童ポルノ法違反元教諭を略式起訴・・・山大附属中学の先生が、教え子(当時13か14歳)と、好意を持っているということで、SEXをしたというもの。新聞記事には「10代と知りながらみだらな行為をした」という表現になっている。
2013,9月 酒田市元臨時職員が、公務中にトイレに10代女性を連れ込み、体を触るなどした強制わいせつ
2005年12月 山形署刑事の巡査部長が、元容疑者の妻と性的関係を持った準強姦容疑
2005年5月 山形南校教師が、7年前から、カバンにビデオカメラを持ち歩き、スカートの中を盗み撮りするようになり、9月15歳女性を車に連れ込み、わいせつ傷害罪。
2012年4月 酒田デリバリ―ヘルス経営者が雇用した16歳の女性に、男性客の性的行為の相手をさせたというもの。
挙げればきりがない・・・・
対等でないと感じる一つ
の原因に、女性に対する暴力があると思っている。
程度はさまざまだけど、見下げる、見下す、ばかにする、(女のくせに~)
セクハラ、チカン、マタニティハラスメント(マタハラ) DV
女性は、幼いころから「女の子」として「らしく」あるように、育てられる。(もちろんそうでない人もいるし、受け取り方も様々)
それ自体が悪いこととか言っているのではない。
着飾ったり、かわいくあれ、人の世話をするものとして
かいがしく誰かのために尽くすものとして、
男性を立て、身の回りの世話をし、気分良くしていられるように・・・・とだんだん、男性の下のような感覚に・・・・
そして、女性が被害を受けても「男を怒らせる女が悪い・・・・」「男にその気にさせた女が悪い・・・」みたいになっていく?
なぜ?
女を怒らせる男が悪いとはならないの?(女は我慢すべきものというジェンダーバイヤスもあるのかもしれない)
セクハラ、チカン、性被害、DVで訴えると、訴えた女性が、さらに傷つけられたり、理解されにくい現実。
そのことを彼女達もわかっているのだ。多くの女性がわかっているのだ。
勇気をもって「被害に遭った」と言えない現実を
言ったとしてとても、しんどい思いをしなければならないことを・・・・
幼稚園のころから男性が先に並ぶ、呼ばれることを繰り返していると、男性が先で当たり前。
(最近は男女一緒の活動や、混合名簿なども使われるようになってきたが)
小学校、中学校、いろんな場面で、男性が先、女性は後、指導教える側の教師(大人)のジェンダーバイヤスが、知らずに子どもたちに伝わっていく。
と考えていくと、自分たちの意識の中に、ジェンダーバイヤスがあって、女性を低く見たりバカにしている考えがあると、気づき、直していかなければならない。
役割や言動が違っていても、人としてどちらかが上とか下とかという考えはないはず。
それが女性が安心して暮らせる、力を十分に発揮して暮らせる社会ということだ。
そしてそれは、社会的弱者にとっても住みよい社会だ。
一方で、教育も職業も、性別に、こだわらず個人の適性になってきている。
希望を持ちたい。
そのための地道な取り組み、学び直す新しい価値観。
女性も男性と同じ人としての権利・・・人権を持った尊重されるべきかけがえのない存在なんだよ。
声を大にして、いいたい!
だから安心、自信、自由を守るために「NO}[GO」「TELL」とつかっていいんだよ。
(ジェンダーバイヤスは、女性に{NO}と言いにくくさせている)
女性が自分自身を守るスキルを教育することが、
女性をエンパワーメントすることにつながる。
今回のような授業をもっと広めていきたいなあと思っている。
参加してくれた生徒さん達、協力してくれた先生、授業をするきっかけを作ってくれたすべての人に感謝(^●^)!
0 件のコメント:
コメントを投稿