2012年10月10日水曜日

救急車要請に応じず山大生が死亡してしまった事件

裁判が始まっている。
消防署とのやり取りの音声がニュースで流れる。
弱々しいたどたどしい声だ。
よっぽど、しんどいから119番したのだろう。

一人暮らしで、そばに誰もいないから、タクシーじゃなく救急車に来てもらいたかったのだろう。
朦朧としているようにも感じる声の主に、「動けるならタクシーで」なんと非常な・・・・。
そういわれてそれでも「いや、動けたとしてもとてもしんどいので、お願いします。来てください」とはなかなか言えない。
少し、ズーズーしくなったおじさんおばさんなら言えるかもしれないが。
力なく、「吐いちゃって・・・・」とも言っているのに。

とても残念だ。
結果的に一人の若者が命を落とした。


この問題の視点を私は、「偏見」「思い込み」を見直すところに置きたい。

あくまでも推測だが、
受けた職員の中に、いや多くの大人の中にある意識。
「若く19歳だって、しかも男だろ。大丈夫でしょう。自分でタクシー呼んでいきな。」という気持ちがどこかになかったか?

もし、これが56歳女性だったらどうであろうか?権力ある立場の人からならどうだったか?
どこかの社長の60代の男性なら・・・・?
30代の女性ならどう対応したのか?

いろいろ考えてみる必要があるだろう。

若い、男性、学生?未成年?ということで、出動しなかったということはないのか?
一人暮らし?その辺も聞いてほしい。そばに誰かついているのかいないのか?いないから電話を自らしたんだし・・・・。
相手に寄り添う気持ちが、子どもに、若者に、弱者に・・・・私たちに求められることではないのか?

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