2012年8月12日日曜日

いじめをなくすために

今、新聞に書かれるような「いじめ」は、「犯罪」だ。
以前のちょっとしたいじわるや悪口なんて言うニュアンスのものではもうない。

言葉は重要だ。
夫婦間の暴力も「内輪もめ」と言っていたらたいしたことないようにとらえるし、「DVであり暴力だ」って言ったら暴力なんだって認識できる。
子どもに対する性暴力も「いたずら」なんていう言葉では、たいしてことないように聞こえるけど、「とんでもない性暴力」なんだ。それは「性虐待ひどい人権侵害だ」といえば重大性がわかってくる。
だから、新聞の載るようなものはもはや「犯罪」

人との関係が直接的だけでない社会になって久しい。年単位、月単位での大きな変化だ。電話で声だけ、メールで文字だけ、自動販売機で話さなくてもいい。レジでも「袋がいらない人はカードを入れてください」なんてなにも話さなくていい。インターネットの時代。
  これらを使いこなすスキルはあくまで、直接的な関係の補助に過ぎなかっただろうが、あまりに頼りすぎ、依存しすぎ、安易すぎて、特に子どもたちに良い影響よりも、悪い影響を与えている方が大きいのではないか?

幼いころ、子どものころは、まずは人との直接的なかかわりをたくさん学ぶ時期。今は幼い子のまわりにもテレビ,ビデオ、ゲーム、ネット、バーチャルな世界があふれている。
直接的なかかわりを十分学ぶ前に、一方通行や、話さなくていい方法がありすぎて、かかわりを学べない時代。
人の感性、感情、情緒が育ちにくい。

使うなと言っているわけではないが、しかし、せめて、小学生の内はケータイ、ネット、ゲームなどは、禁止してもという人もいるほどだ。

そういう時代の「いじめ」はもはや以前のものとは違ってしまっている。人とのかかわりを学ばなければならない時代になった。

空気を読めだの周りに合わせることをよしとされるような幼いころからの教育。直接言わず、裏サイトでの悪口攻撃、
単なる遊びやゲームでも負けるとすぐに「罰ゲーム」などと称して、いやなことをさせるなど、遊びの範囲かいじめになってしまうのかさえわからないような社会。勝組、負け組などの差別。

大人の社会では、ある程度の常識で免脱することは少ないけれど、子どもの世界は、人との関係を学んでいる途中でもあり、素直で正直なだけに、盲目的になったり、ひどく残酷になることも特徴だ。

必要なこと。
基本は、①自分を大切と思う気持ちをはぐくむ(人権意識)
②人との対等で尊重しあえる関係の築き方。
③自分の性に肯定感を持てるような、命の素晴らしさを学ぶ性教育
とジェンダー平等(男女共同参画社会にむけ)

人として、どんな人も安心、自信、自由(選ぶ権利)を持って生きていい。
誰にも奪われたくない権利、自分も他人も持っている権利。それを奪うことなく、話し合ってお互いが折り合えるよう物事を判断、決断していく力をつける教育が必要なのではないか?

まず、自分ができること。

①自分の安心、自信、自由を大切にし、周りの安心、自信、自由も尊重しているかな?と考えること。
②人といい関係を築き、支え、支えられて生活していることに感謝。
間違いや失敗も誰しもあること。
素直に過ちを認め、次に進むエネルギーを得られるような人とのかかわりを務める
③自分の興味関心のあることを学んダリ、行動して自信をつけよう。

そんな気持ちで、一人一人が生活できたらと思う。





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