2012年8月1日水曜日

心の傷を抱えて生きるということ

災害や、親しい人の死など、私たちは生きる上で様々な心の傷を受けるだろう。

それによって強くもなり、学びもある。
その傷を誰かが寄り添ってくれることで、自分で学んだり、さまざまな気づきによって乗り越えても行けるのだ。
人によって癒されもする。

しかし、人から暴力を受けて受ける傷は、特に親しい人からの暴力は計り知れないほどの傷を生む。
多様なトラウマを生み出す。
人から暴力の被害を受けて負うトラウマは、しんどい。

体の傷は時間とともに癒されもするけれど、トラウマとなった傷はむしろ時間とともにより屈折し、がんじがらめになったり、紐解くことが困難になったり、人格をも左右してしまうくらい。
なぜ、自分はこんな言動をしてしまうのか、わからず、ただ自分を責め苦しんでいる人も多い。

DVや性被害を受けた傷で、生活するうえでの様々な困難。
それを自分の傷と向き合って、学びながら少しづつ癒していくことはそう、簡単ではないが、多くの人が実践している道でもある。

被害の状況を話すことすらできないこともある。自分で被害を認めたくないこともある。その人なりのペースで、癒していくしかない。

フラッシュバックが、どういう状況で起きるかを、ちゃんと知って、それを避けて生活すること。周りの人に理解を求めることが重要だ。

だから、周りの人もその困難さを知っていなければならない。

たとえば、靴でけられたことがトラウマがあれば、靴の裏を見ただけで、自分の目線に靴が写っただけで、しんどい。

加害者と似た人に出会っただけで、恐ろしい思いをする。

「ちぇ!」という言葉の後にいつもひどく殴られていた人は、見ず知らずの「ちぇ!」におびえる。

置き去りにされそうになった人は、一人で待つことができないといった具合だ。
そういった困難を抱える人がいることを知っておこう。

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