2012年5月31日木曜日

ジェンダーのとらわれ

男女共同参画社会を目指そうといわれ、基本法ができてから10年以上がたつ。
しかし、人の意識は、なかなか変わるのは難しい。
また、変えようとする特別な思いや、変えないと不幸だという思いがなければ「別にいいじゃん」となってしまうのだ。

じゃ、なぜ「ジェンダーのとらわれ」から解放され、男女対等、尊重、共同参画が必要なのか述べてみたい。

子どもは4歳ぐらいから、すでに周りの大人たちによって、ジェンダーが刷り込まれている。
「女の子はかわいくなくっちゃ」
「男の子は、泣いたらおかしいんだよ」
保育園や幼稚園での会話。

親からの評価、メディアの影響、友達からのからかい。
そういった環境の中で、刷り込まれ、男は~女は~とそうすべき、そうあって当然。
そして行き過ぎてしまうと、その枠からはみ出た子はおかしい。いじめの対象。排除されるとなっていくのだ。

しかし、人は男と女という単純に分けられないことがある。
性には、体、心、恋愛の対称、といった側面もあり、厳密に言えば、体もはっきり分けられない人もいる。自分の心の性も性自認も、はっきりしない人もいる。少数ではあっても、さまざまな形があることを知ってほしい。多様性を認めていける社会でありたい。

それは、それぞれの人権の問題である。単に男だ、女だといって制限すべきではない、その弊害や、締め付けにより、自分の力を発揮できない、自分に肯定感が持てない、一人の人間として自立できないなど様々な弊害があることに気づこう。

男性は、自分の気持ちを表現することをよしとされず、たくましく、力を持って、リーダーとなり、…どちらかというと暴力を 支配することを 容認されやすい。

女性は、周りに気を遣い、思いやりがあり、多少のことは男性を優先させて当然、自分は控えめにといったケアする方向、服従する方に期待されやすい。

それぞれが、子どものうちから以下のような育ちの中で、保証されたい権利を持っていると思う。
①一人の人間として存在価値があると認められること
②生きるために知る権利
③自分で、十分に考える権利
④自分で選ぶ権利
⑤結果を引き受ける権利

これらは、安心して、自信を持って、自由に生きる権利とつながっていると思う。

一人一人考えてみよう。
幸せに生きるために何が必要なのだろうか?

ジェンダーの縛りという狭い枠ではなく、人として尊重され生きることが幸せにつながるのではないだろうか?

0 件のコメント:

コメントを投稿