2012年5月14日月曜日

自分で自分を守ること

21年11月に2回行われた「支援者のための安全研修」
NPO法人ライフライツ・インパクト東京主催で「エンパワメント山形」がコーディネイト、手伝いをした講座である。
その報告書が届きました。
改めて、自分で自分を守ることの意味、女性こそ必要な護身の学びとスキルについて、報告者をもとに述べてみたい。

児童虐待防止法やDV防止法などが制定され、10年余り。人権尊重という認識も生まれてきた。
しかしながら、大人も子どもも暴力に合わないための学びや人権意識ー自己肯定感ーをはぐくむ学びがほとんど行われていないのではないか?

従来の「~してはいけない。危ないところに行くな」といった制限や禁止ではなく、エンパワメント(力を引き出す)していく学びがされていない。

学校教育においても子どもたち自身に、子どもの人権(子どもの権利条約についても)教えていない。
子どもや女性を支援するのに欠かせないのが、生きる主体として、誰かに守ってもらうことー受け身だけではなくー能動的に自らを守る知恵をさずけることではないのだろうか?

あなたにもできる!
あなたはかけがえのない存在!

暴力や理不尽な目にあった時に、こうすることができるという選択肢をたくさん示し、実際に体を動かしてやってみる。まさに今回の講座はそうであった。
参加者の感想を見ると多くが「自信を持った。役に立った。」という答えがめだった。

女性は男性に比べ、暴力や理不尽な目にあった時に「いやだ」ということよりも寛容な態度をとることを求められる。しかし、この場合の寛容とは、加害者である相手を許すことであり、ますますつけ
こむすきを与えかねない。
そして、加害者の期待どうり、「これぐらいで、目くじら立てなくても」という思いを持つのがよしとされるのである。

つまり、暴力の被害に対して鈍感になることである。
なかったことにしてして我慢するのがいいということである。
はっきりと「いやだ」ということを女性が言うと、「大人げない、寛容さが足りない、優しさが足りない」と言って非難されるのである。

女性が「何か変だ、不快だ」と感じることは、境界線を侵害されているということのサインである。それを感じることに鈍感であっては自分を守ることはできないのだ。

加害者側はそうやって、女性を見下している。それぐらい、えらい自分が言うことを、お前のようなものは許すべきだと・・・・

つまり、差別意識を持っている人である。人権感覚、意識が欠如している人たち。
権威や力がある自分に、権威のない力も持っていないものは従って当然、気分良く過ごすために、ちやほやされて当然という意識。

ひとりひとり、自分にも潜んでいないか、時々チェックして、人権意識をはぐくんでいきたい。
また、テレビやメディアもそれをあおっていないか?

そのための学びとして、今回の「支援女性のための安全研修」はとても大きな効果をもたらすと思っている。
ただ、社会に蔓延しているジェンダーバイヤスや、権力や経済力がものをいう社会でもあるから学び続けることが必要であると思っている。

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