2012年12月19日水曜日

いじめ問題の解決のために

メディアによるいじめ報道のスクープ。
あまり騒ぎ立てないで、思う。
もっと解決に向けたものや希望が
感じられる報道をと願う。

いじめはいけない!…それはそうだけど、
ただ、そういって、その現象
だけを取り締まるようなやり方は
だんだん見えないところに
陰湿なところに追い込んでいくだけ。

ますます、子ども達をいい子に追い詰めていくだけではないか?

なぜ、いじめたくなるのか?なぜ、大人に反発するのか?信用できないというのか?
悪いことだとわかっていながら、自分を卑劣なやつだと思いたくないけど、してしまうせざるを得ない気持ち、行動、そこには何があるのか?
  よく、虐待を受けている子やDVの被害者に接して、そんなに落ち込んでいる風じゃないし、そんなに深刻ではない、大丈夫じゃないの?って感じてしまう人が多いと思うが、

でも・・・

子どもはいじめられても仲間外れが怖くて「笑い」を取っているのでは?そういうときもあるのでは?
危険じゃないところ、みんなの前では、余計に元気にふるまったり。

自分の怯えを悟られまいと「苦笑い」するかもしれない。

親や先生に見捨てられないように「照れ笑い」や「媚びた笑い」をするのかもしれない。

相談してもちゃんと向き合ってくれない大人に「失笑」したり、「冷笑」したり。
「大丈夫」というしかなかったり。失望したり。


どうしたらいいかわからなくて、ただ「泣き笑う」のかもしれない。

いじめをなくすために条例を作るとか、アンケートを頻繁にするとか、先生方に報告を頻繁に求めるとか、指導の文書を配るとかそんなことよりも。。。

子ども達に肯定感を・・・「あなたはかけがえのない存在だよ」と伝えられるには

どう先生方は子どもに接するかを考えてほしい。

大人は、子どもを一人の人格を持った人間としてきちんと対応、尊重すること。
そういった先生や親側の対応で、子どもたちは自尊心を取り戻し,自信を取り戻していく

そして子どもたちにきちんと大切な人権のことを教えてほしい。
人としての尊厳を持っていることを伝えてほしい。


誰もが持っている人権。
心のレベルで、「安心、自信、選択肢の自由」そういう権利、
してもいいこと、そういう環境にいていいこと、

周りの大人たちは子どもたちをそういう環境にしてあげること。
保証するのが本来大人の義務であると思う。
そのうえでのしつけである。いけないこと悪いことをきちんと諭す。

それこそが根本的な解決策だ。

 自分のことを肯定できず、ダメなんだ僕は…だれか認めて・・・そう思いながら仲間を求め、外されないように、周りの顔色をうかがうしか、大人に見捨てられないように、必死でいい子を演じるしかない子どもたちを、ちゃんと認めてあげなければ。

「よく頑張ったね」「あなたはこういういいところがあるね」「いてくれてありがとう」「君はどうしたい?」「どっちを選ぶ」という言葉を大人から言われるような環境を保証してあげたい。

そう言える大人を増やしておかなければ・・・。

「自分のことは嫌い」と答える子どもが世界的に見てとても多いという統計が出ているのは、みなさんご存知だろう。


時間はかかるかもしれないが、まず、子どもの中に安心、自信、自由を取り戻す努力をしてほしい。

この社会には、人権を子どもにわかりやすく教える取り組みをしている団体はたくさんあるというのに。

そういったところに視点を置いたメディアが現れることを期待したい。



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