2012年3月30日金曜日

暴力の連鎖  気づかずに・・・・・無意識に・・・・・

暴力は力の差があるところに発生する。
より弱いものへ、自分のストレスを知らない間にぶつけている・・・・無自覚に・・・・。
誰もが生まれてきたときは、暴力をふるうことを知らない。
育った家庭が暴力的で、人との関係が、上か下かでしかとらえられないようなら、子どももそれを学んで育つ。暴力を振るわれて育てば、暴力をふるうことを学ぶ。

嫁として、女性として、その家庭で、地位が低く、対等に扱ってもらえなかったり、理不尽なことに我慢するしかなかったら、生まれてきた子どもを育てるのに、愛情を持っておおらかに…なんてできなくても誰がそれを責められる?

育てる母親自身が、暴力や理不尽な目にあい、傷ついて、自信を無くし、自分に肯定感を待てなかったら、子どもが自信を持った子に育つと思う?

こどもの虐待を防ぐのであれば、養育者となる、親(特に母親)に、自己肯定感を待てるような環境が必要。

自信を持ってゆとりある子育てができるような母親支援が必要となる。
そして、いろんな大人が関わって子育てをしていくことが必要だ。

女性が、自己肯定感をはぐくむのに、邪魔をしているのが、日本社会全体の女性に対する暴力への無理解と女性に対する抑圧である。

1、女性は子どもを産めることに価値があるとする考え
2、性的対象物としてポルノに代表されるような扱いをしているものを娯楽として容認されていること
3、母親役割を期待され、自分よりも他をどれだけケアできるかで、評価される傾向にあること

これらを解消し、女性が自信と自己肯定感を持って、人格を持った人として尊重され、生きていいという価値観が広まらなければ、

また、母親一人に、過度に育児を押し付け、何かあれば「母親は何をしている」といった批判にさらされるような社会では、しんどいばかりだ。
「父親は何をしていたんだ!」とはどうしてならないの?おかしいよ!

母親の幸せが子どもの幸せにつながると思う。

母親の不幸を見て育つ子どもは不幸だ。

父親も母親も対等で尊重しあい、一緒に子育てをする家庭、どちらからもいつくしまれた子どもは、何より幸せではないだろうか?

そんな家庭で育つならば、人との関係を尊重対等なのが当然とした価値観を持つ大人になれるだろう。

無意識に暴力の連鎖を続けるのはもうよそう。

それには、暴力について、慣れっこになっている感覚を研ぎ澄ましてみよう。

人格を否定するような言葉は暴力だ!
パワハラ、セクハラ、無視・・・・・知っている人から、家族からの暴力は、さらに深い傷を生む。


2 件のコメント:

  1. 暴力は連鎖してしまうと思います。
    私自身も泣きながら子供のお尻を叩き、思い通りにならない子育てをした苦い記憶が残っています。
    私には断ち切るだけの勇気がなかったし、二世帯住宅で暮らす舅姑からのストレス、新しい土地での孤独感。配偶者が私の心の傷を理解してくれなかったこと、色々なことを言い訳にしても決して許される行為ではありません。
    暴力を一番後悔していて、許せないのは、私自身です。
    そして、子供たちも上が下に、下がまた下に連鎖しています。
    子供たちを傷つけてきたのは私です。
    そして、子供たちを社会に送り出すことが不安です。
    お友達を、恋人を、将来持つべき家族を暴力で傷つけてしまうんでしょうね。

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  2. コメントをありがとうございます。
    「悪いのは私です」と言っていますが、暴力的な行為をしてしまうほどに追い詰められていたということですよね。
    あなた自身が悪いということではなく、行為が悪かったということです。
    後悔している罪悪感を待っているということは、自分の加害性に気づいているという人権に敏感な視点を持っている方です。(すべて人は何らか加害性があって当然で、それを自覚しているか否かで大きく異なります)
    暴力的な行為をしてしまった自分をただ責めるのではなく、そうせざるを得なかった自分の中の傷つきを考えてみましょう。

    あなたに暴力をふるった人は誰ですか?あなたのつらかった、しんどかった思いを受け止めてくれなかった人は誰ですか?
    あなたに寄り添い気持ちを聞いて協力してくれる人がいたら、もっとゆとりを持って子育てができたはずです。

    あなたは暴力の連鎖を止めることができる人だと思います。
    まず、自分のしんどかった思いを自分で受け止め、自分を許すことから始めませんか?

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