2014年12月16日火曜日

DV被害者が加害者を殺害してしまった事件

2014,9月 妻と長男が、夫を殺害。「未明によって帰った夫に殴られた」ということがきっかけととらえられるが、以前から夫の暴力が妻や長男に向けられていたという。


せっぱつまっての事件だと推測される。


もちろん殺人はよくないがそこに至るまでに殺された夫からどれほどの暴力を受けていたか?が、問題にされなければならないだろう。


被害に遭っていた妻や子どもを救えなかったことが残念なのだ。


家庭の中で、ひどい暴力があっても、またそれが長い間行われていても、夫を訴えることは困難である。


暴力行為があって、けがをしたとか、110番通報があった場合は、現行犯でなくとも、暴力をした方を束縛するべきである。
暴力行為の容疑者として、被害者に「逮捕しますか」?なんて聞く必要もなく、まずは身柄を拘束。
その後、じっくり検証すればいいのである。


被害者が逃げなければならないのではなく、加害者が拘束されなければどこにいても安心できない。また、すぐ戻ってくると思えば言えなくて当然である。


それがなければ、被害者は、家族を訴えることなどできないのである。


他人から暴力を振るったら、逮捕されるのに、身内だというだけで、逮捕されないのはおかしい。


逮捕されないとしたら未成年に限り、親の意向が反映されてもいいと思うが、その場合も専門家からの家族全体への継続する支援が受けられるようにすべきである。


社会の中の 「男が酔って少々暴力的になるのは仕方がない」といった暴力を容認する考えや「、妻は夫に従うべき」(理にかなったことならいいが)といった価値観、家庭の中の暴力は、公にするものではない、公が干渉しない考え、夫を訴えるなど論外、なんという妻だ女だといった考え・・・


被害者も悪いところがあるということはない。


もっと相談していいんだ、


自分の人権が奪われたら訴えていいんだという考えを広めていければと思う。


子どもから相談できる場もほしい。誰からも責められず、話せる場がほしい。




もっと相談していいんだという考えや、被害者は悪くないといった考え、当然、自分を守ろう、ほかの人の権利(人としての尊厳)もうばってはならないことなど…基本的な学びが欠けているのではないかと思う。


こども向けの暴力防止プログラムであるCAP(きゃっぷ)


例えば、そこではトークタイムがあり、子どもが誰にも話せなかったけど、と言って家庭の中の暴力


や性被害に遭っていることなどを話すことがある。


CAPプログラムを届けてくれる、こどもたちを対等に、尊重してかかわってくれる、


そういった寄り添う大人の存在に出会うと、話し始めるのである。


CAPでは、こどもたちはみんな「大切な権利をもっている」と教えてくれる。


それを聞いて子どもはうれしい。喜ぶのだ、「へえ~自分には権利があるんだ」と、自信を持つのだ。


そして自分もほかの人もその大切な権利を守っていい、うばわれそうになったら


こうやって守るんだと、具体的に教え、こどもの意見に耳を傾ける大人の存在に、


子ども達は、だれにも話さなかったこと、


かなしい思い、被害にあっていることなどを話してくれるようになるのである。


裏を返せば、自分が被害に遭ったことや怖い目にあったこと、つらいことをはなせる人が、周りにいなかった、話していいと思わなかったということだ。


相談や被害者支援とともに、子どもの内からの自尊感情をはぐくむ教育。


若者に人との対等で尊重しあえる教育。


DV加害者やストーカーには、校正プログラムが必要であると思う。


まちがった価値観に気づき、自分に自信を持てるようになれば、人を支配したり、きずつけたりする必要はないのだから・・・









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