2012年11月2日金曜日

山大生が死亡した事件から1年 救急車は行くべきだった

新聞に救急医学会代表理事の有賀徹・昭和大学病院長のコメントが出ていた。
「救急車を出すべきだった。山形市の対応ルールを直ちに見直すべきだ」私も当然そう思う。
まず、出動して現場で、どうしてもタクシー代わりに呼ばれたような状況であれば、救急士がきちんと毅然と説明し、話をすればいいこと。
はじめから必要かどうか電話で判断すべきではない。

19歳の若者が、一人暮らしで、という状況を考えるとむしろ119番するのは本当にどうしようもなくわらをもつかむ思いだったと想像する。
本当に困ったときに、容易に人に頼ったり、弱音を吐いたりしない傾向の若者。
むしろ真面目で、人に迷惑をかけてはいけないと思いがちなのでないか?
  通報をしたときの声を聞けば、しんどそうで、頼る人がいなくて、「吐いちゃって・・・」心の中では「助けてください。来てください」という気持ちがありありとわかる。

それを突っぱねるなど・・・・あってはならないこと。
しかも、救急車でしょう。人を助けるための仕事でしょう!

残念だ。
強く出られない若者に、ややもすると大人は「~できるでしょう」「~してね」と押し付けてしまいがち。これは今回の電話対応した職員を責めるわけではない(山形市の対応マニュアルがおかしい)が・・・。

一般論として言わせてもらえば、やや強い口調で大人に言われたりすれば、子どもや素直や若者ほど、「いや。どうしてもこうしてほしい」「いや、来てほしいです」などということは多くができない。

普通の大人でも、自分の状況が弱い立場だったり、気が弱くなっていればなおさらだ。

困ってSOSをだす人に対応する119番や110番、各種の相談窓口は、より一層こういった相手に
「この人はどうしてほしいのか」を隠れたメッセージも含め、くみ取れるぐらいの人を配置してほしいものだ。
それとともに、私たち大人や力のある人は、十分それを自覚し、相手に寄り添う姿勢、視点を持ちたいものだ。
そういった教育を、支える大人には、これから生きる若者には、しっかりしてほしい。

大きく考えればエンパワメント山形が訴えている対等で尊重している対応だったか?を問える問題ではないだろうか。


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