2012年9月11日火曜日

人から認められたいと思う心

誰でも持っている気持。

誰かを元気づけられたって思うとき、「あなたのおかげ」って言われた時、うれしいよね。
人の役に立ったって思うとき、「助かったわ、感謝してる」って言われたらうれしいよね。

困っている人落ち込んでいる人を見ると、何とかしてあげたいと思うのも人として自然な気持ち。
それを勇気をもって伝えたら、いい関係が生まれてくる。
震災に、本当に多くの人がボランティアや、支援などいろんな活動をした。
私にできることを。役立つことがあればしたいと多くの人が行動を起こした。
実際行動に移せなかった人も、思いを寄せて、気持ちに寄り添った。

やりがいを感じて、自分の言動に、肯定感を持てた。
自分に自信が持てた。

だからね。
大いに声に出していおう!

「ありがとう」「あなたのおかげ」「たすかった」「感謝してる」・・・・・
  そうやって人から認められたいって思うし、言葉にして伝えてもらえたら嬉しいから、
自分から、まずいっちゃおう。

マツダミヒロのワークショップでも行った。
たくさんたくさん認める言葉、賞賛の言葉をあげせること。
「すごいね。やったー、へ~そうなんだ!いいね!素敵、すばらしい!」
普段の生活ではなかなか言えなかったり、言われなかったりすること。

「え?なんで、そうなの?」って思うことも黙っていてはわからないかもしれないよ。
思い切って「実はこうなんだけど・・・」って言葉にしたら分かり合える。
そういう些細な言葉のやり取りをめんどうがらずにしていけば、いざこざや誤解から、いやな目や理不尽な目に合うのも少し減るとおもうんだけど。

こんなことがあった。

ある人の家を探して、地図を見ながら車で走る。
住宅街で、道路に止まる。
「ここに止めたんでは通行の邪魔になるし、ちょうど駐車場があるから、たぶん、ここみたいだから、まずは駐車場に止めてよく確認しよう。」
そう思って、たくさん空いてる駐車場に入って、その一つのスペースに止めた。

地図を眺めて、考えていると、車が1台入ってきて、私を見ている。なんだろうと思いながらもあの人に聞こうかなと思いながら地図を見ていた。離れたところに車を止め、降りて行った。

その女性はアパートの階段をのぼりつつ険しい表情で、言葉を放った「そこ、車泊められないじゃん!」言うなり部屋に入っていった。

びく!っとしてあわてて車から降り、「ごめんなさい。家を探していてわからなくて止めていました。すぐよけます」どきどきしながら、わびた。車を道路に止めた。
なんか怖かった・・・。かってに止めた私が悪いかもしれないけれど。

気まずいお互いイヤーな気持ち。

もし、私が反対の立場なら、止めてある車のところに来て、あるいはそのスペースに入りたいそぶりをするとか、車の窓から「そこ、私のスペースですが、何か用ですか?」などと、声をかけただろう。

地図を見てるなと思ったら、「どこかお探しですか?」と聞くだろう。

そういう会話ができたら、止めたい側も探している側も気持ちよく過ごせたのではないかと思うのだ。

そういったちょっと助けて、ちょっと困ってる、ちょっと手伝って、ちょっとどうしたの?そんな些細な会話で、怒りをぶつけることがないようにできたらいいね。

「そこは私の駐車場よ」ってその人は認められたかったのだろう。
言葉にすれば簡単なのに。
何も悪気があってわざと止めているのではないのに。まちがっているかもしれないのに。

「よくわからないところに止め、迷っているんです、誰か助けて」って私は誰かにかかわってほしかったのかもしれない。

よく、道に迷って車をUターンするとき、仕方なく誰かの敷地に入ることがある。「Uターンさせてください」とりあえず、声を出して(聞こえているか誰かいるかわからないけど)させてもらう。

それらしい人がいたら軽く頭を下げる、それだけでも違うよね。

人はお互いに支えあって、関わって、暮らしているのだからね。

みんな、認められたいもんね。

黙って行動しないで、態度や言葉で伝えたいよね。
なるべく「あれ?」っておもったらすぐに。「どうしたの?」って



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